エエ話だったという評価と、凡作だという評価に割れている作品だが、見終わってみてやっぱり凡作だなと思った。
ジブリ作品でないならば、平均以上の出来だとは思うが、まぁやっぱり平凡だ。
エエ話はエエ話だが、なんで平凡に思えるのだろうと思い返してみた。
それで気がついたのは、悪い大人がさっぱり出てこないということ。
悪漢だけれども人としての仁義は守るという役どころもなかった。
なんかみんなイイ人ばっかりでスパイスがないから平凡だと感じるのだろうと。
そこらへん、やっぱり駿のオヤジは偉大だ。人間らしい欲望の発露を、権力レベル・個人レベルでそれぞれ体現したキャラクターをちゃんと作りこんでくるし、そういう悪人であってもただ単純に悪なのではなく、それぞれに立場や事情があるのだというところも描いてくる。
クシャナ殿下は風の谷から見たら非道な侵略者だが、有能な指揮官で兵からの信頼厚く、非合理に非人道的な殺戮はしない。
ペジテの人達が王蟲の子供を半殺しにして蟲を呼び寄せるのも、ただ残虐なのではなく、自分たちが生き延びるには仕方のないこと。
ドーラ一家はハッキリ言って盗っ人だが、情には厚い。
良い人やエエ話ばかりで済むほど世の中や人生は単純ではなく、じゃあ悪だとか、悲しみや憎しみだとかってのは何なんだと考えさせる要素が絶妙に組み込んであるところが、駿のオヤジの偉大なところなんだろう。
とはいえ、オヤジさまの方も最近切れ味はちと落ちてきたような気はするが。
なんというかコクリコ坂、謎は謎でもっと思わせぶりに引っ張るべきだし、言いたくても言えない苦悩とか、あの時はそうするしかなかったけど、全てに納得してそうしたわけではないという一握の苦さとか、そういう含みを持たせた深みを演出しないと、吾朗殿はやはりオヤジを越えられなかったと言われてしまうのだろう。
根がひねくれている私はそう思ったが、素直でイイ人にとっては、普通にエエ話です。
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